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キャリア、ビジネス、IBPがよくわかる「GLOBAL INSIGHT」
ビジネス留学情報ブログ「GLOBAL VISION」
2002年
丹羽 晶代
AKIYO NIWA
コース:ベルビューカレッジ
キャリア:社会人
留学期間:2001年3月〜2002年4月
インターン先:Data Linc(通信会社)
愛知県出身。大学の外国語学部を卒業後、留学を決意。ベルビューカレッジへ進学し、通信会社でマーケティングのインターンを経験。修士課程卒業後ハワイへ移住し、リテールマネージメントの経験を積んだ後、NIKE Inc. に就職。Converse Outletにて、唯一の外国人ストアマネージャーとして勤務。

迷っても、巡ってくるチャンスに敏感でいることが大事。

IBPプログラムを選んだ理由を教えてください。

IBPを選んだのは、英語(ESL)/学部聴講/インターンシップの組み合わせが魅力だったから。また、一年と短期だったのもプラスでした。留学希望だったものの、大学卒業後に進路が不透明なまま何年もコミットできなかったので、一年間の修行期間として選びました。

留学先を選択した理由を教えてください。

シアトルは気候や治安を含めて全米でも住みやすい都市だと聞き、また、ベルビューはコミュニティーカレッジ(参加当時)ならではの多様性とバランスを期待して選びました。

セーフィコフィールドでマリナーズのゲーム観戦

研修地に到着した時の街の印象はどうでしたか?

実はシアトル・タコマ空港に到着して最初に話しかけられたのが中国語で、その瞬間、英語とビジネスを学びに来ただけではなく、しっかりと異文化体験ができるミックスカルチャーの土地にやってきたと感じました。シアトル/ベルビューは大都市過ぎず田舎過ぎず、過ごしやすそうだと思いました。飛行機から見えた桜の木が印象的でした。

当時の滞在形態を教えてください。

滞在はプログラム終了までホームステイ。他に台湾からの留学生が一人、同時期にステイ開始しましたが、途中で引っ越していきました。プログラム後半、日本人の留学生もステイしましたが、その頃には別々のスケジュールが確立していたのと、家では英語、のルールのお陰で、助け合いはしても妨げにはなりませんでした。

ご家族とのコミュニケーションはいかがでしたか?

ホストは留学生の受け入れ歴が長い家族で、私の英語を辛抱強く聞いて理解してくれたので、非常に助かりました。毎日アクティブで、できる限り家族のイベントや行事に参加させてくれ、また自営業の両親、4人の子供とビジネス、政治、経済、異文化、スポーツ、ファッション、映画/テレビ/音楽、はたまた男女交際にいたるまで、かなり広範囲なトピックで会話が繰り広げられました。13年経った今でも、娘/姉と呼んでくれ、交流を続けています。

初のダウンタウン、シアトルPDのオフィサー達と

キャンパス内の設備など、日本の大学と比べてどう違いましたか?

キャンパスは、特に大きな違いを感じたことはありません。が、唯一、車社会で大きな駐車場がいくつもあり、登校時間によっては駐車に時間がかかり過ぎたり教室からかなり歩かされたりと不便はありましたが、慣れれば問題はなかったです。

先生との距離感は近かったですか?

少人数クラスで、どの先生もアプローチしやすかったです。もちろん、自分が興味のある分野と先生のバックグラウンドが合うと(私の場合は、マーケティングの先生と、ファッション・アパレルに詳しい先生)コミュニケーションは自然と増えました。

英語研修はどのような内容でしたか?

アカデミックライティング、ビジネスコミュニケーション、マーケティング、などの授業をとり、その中で、課題をリサーチしたり、プレゼンしたり、宿題もしっかり出ていた記憶があります。初めの三ヶ月でTOEFLスコアがグッと上がったことを考えると、私にとっては英語での生活自体が効果的だったのだと思います。

プログラムの同期とチューリップフェスティバルへ

やりがいのあった授業などあれば、教えてください。

マクロエコノミクスをという授業にはかなり苦労しました。アメリカの経済システムについての知識がないとクラスで何を話しているのか理解しきれず、長い一時間となります。授業内容以前の基礎知識を得るのに自習する必要がありました。学部授業をとる頃には、修了後に正規留学することを決めていたので、授業の内容そのものよりも、英語でノートをとり、テスト勉強する癖をつけることに集中しました。

留学中に参加したサークルやアクティビティはありますか?

文化交流のイベントにボランティアで参加しました。外国人に自国の文化を正しく説明することは予想以上に難しく、当たり前だと思っていた日本文化の大切さを再認識する機会になりました。後々になってですが、この時のコーディネーターの一人と何度か連絡をとり、通訳のボランティアをしたり、インターン先の候補をいくつか紹介してもらうことができました。

課外活動を通して友達などできましたか?

IBP同期の数人とベルビューの正規留学生が結成した野球チームに参加してからは週末のアクティビティが増えました。野球を通してできた友達とは、特にプログラム終了後に交流が増え、活動範囲が広がりました。

夏休み中に訪れたマウントレイニア

インターンシップ先について教えてください。

インターン先は、工業用ワイアレスデータ通信機器を取り扱う会社で、マーケティングリサーチのアシスタントをしました。トレードショー参加の準備中で、市場拡大のためベンダーリストを作成するプロジェクトをもらいました。

インターン中、苦労したことは?

「マーケティングに関わる仕事」でしたが、業界の知識がなかったことが一番苦労しました。またコンピューターの前で過ごす時間が長かったのが難点でした。

日本と現地のICCオフィスの対応について、感想を聞かせてください。

日本のオフィスと連絡は全く取る必要がありませんでした。現地のオフィスは、サポートが必要な時はきちんとしてもらえました。基本的に、ホストファミリーがいろいろと助けてくれたのと、困ったことになったりリソースが必要だったことも少なく、オフィスに頻繁に通わなくてもよかったです。

プログラム修了式、家族全員で来てくれあホストファミリーと

プログラム終了後、アメリカでキャリアを積んだその経緯とその後について教えてください。

IBP後、正規留学生として2年8ヶ月シアトルに残り、プログラムで出会ったマーケティングの先生のアドバイスがきっかけで、修士課程を終えることになりました。参加した年に起きた9・11の影響でビザの発行や留学生の就職が厳しくなり、日英バイリンガルの需要が高いハワイに移住しました。OPTを利用してマーチャンダイズアシスタントとしてリゾートゴルフ場のプロショップの商品管理全般に関わったのが、アメリカでのキャリアの出発点です。

出発点から現在までの経緯を教えてください。

OPTが切れ、永住権取得後はツアーの通訳などをしながら就職活動をし、Levi’s、続いてFOSSIL、とリテールのアシスタントマネージャーとして経験を積みました。FOSSIL在籍中にストアマネージャーに昇進し、現在はConverse Outletにて、唯一の外国人ストアマネージャーとして奮闘中です。

現在の仕事について教えてください。

アメリカでのリテールマネージャーは、日本と比べるとキャリアとしての認知度が高く、ハイレベルなビジネスアキュメン、コーチングスキルを要求されます。同じことのルーティンのように見えるかもしれませんが、扱う素材はヒト。毎日勉強の日々です。

オフ時はフラダンサーでした

留学をふりかえり、自分自身が変わったと思うところはありますか?

留学は、些細でもそれまで未経験だったことを経験する機会でした。アメリカ人はもちろん、各国からやってくる人達とコミュニケーションを取るにあたり、英語が喋れるだけでは話になりません。相手の立場を知ろうとする、違いをリスペクトして歩み寄ることと、自分の主張をしっかり伝えられることのバランスが大切だと日々感じます。同時に、日本文化特有の価値観を忘れないように心がけるようになりました。

IBP留学を希望している人に向けて、アドバイスをお願いします。

留学中や留学後のヴィジョンを持つことは大切だと思います。特に短期間で多くのことを成し遂げようと思えば、時間を無駄にしないようとのアドバイスが多いでしょう。しかし、私のように迷い道にいても、目と耳、心を開けて巡ってくるチャンスに敏感になること、新しいものに挑戦することで、留学を成功させることは可能です。知っていることに満足しないで、知らないことを探求して、なるべく多くの人と出会う時間を作って下さい。留学経験が自分ブランドを立ち上げるツールとなりますように。

*体験談の内容は寄稿時の情報です。

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