NYの人材会社で活躍中。インターンで海外就職を疑似体験して自信がついた
全米アマチュアベースボールリーグのオールスターに選ばれました
野球のオールスターで行ったアリゾナフェニックス
シアトルのアマチュアベースボールリーグ
アマチュアベースボールリーグの友人
パイクプレースマーケットで魚売りのおじさんと
パイロットの友人とセスナでシアトル上空フライト
小型ボートに乗り、ワシントンレイクでジェットスキー
アリゾナにて
Times Squere
Grand Central
Q:留学前の経歴を教えて下さい。
大学まで本格的に野球に取り組んでおり、野球選手としてプレーできる道をずっと模索していました。大学卒業後は一般企業に就職しましたが、1年後、野球選手としての可能性を求めて渡米。LAを拠点として全米のトライアウトを受けて回った結果、ミシシッピにある独立リーグの球団から声をかけてもらい、プレーすることになりました。南米やカリブ海の国々からメジャーリーグを夢見てやってくる若い選手たちに混ざってプレーしていましたが、非常にCompetitiveで、英語も十分に理解できず、大変苦労しました。そのような生活を2年近く続けましたが、今後の選手としての飛躍はこれ以上期待できないと判断し、野球を辞めました。
IBPに参加しようと思ったのは?
前述のように英語がわからず苦労した経験、米国でサバイバルしてきた経験から、英語をもっと体系的に学ぶ機会を求めていました。独立リーグではスペイン語圏の選手たちが多く、彼らの英語もブロークンやスラングがほとんどで、自分のキャリアとして、ビジネスで使えるレベルまで英語を向上させたいという希望を持っていました。そんなときに友人からICCの話を聞き、ウェブサイトに目を通したところ、自分の求めているものとICCのプログラムがマッチングしていたので、即決しました。
プログラムの中で、なぜワシントン大学を選んだのでしょうか?
大学にこだわりはありませんでしたが、過去の参加者の傾向から、ワシントン大学には日本でビジネスキャリアがある人が多い印象を受けました。そういう方々と交流を持てれば、得るものが大きいはずだと推測しました。実際に、業界を問わず、さまざまなビジネスバックグランドを持った方と一緒に授業を受け、日米両方の情報を得ることができたのは幸運だったと思います。もうひとつの理由としては、シアトルにはイチローがいる、というのが大きいですね(笑)。実際に渡米後、すぐにセーフコフィールドの常連客になりました。
留学してみて、アメリカと日本の大学の違いは何だと思いましたか?
よく言われることですが、日本と違い、アメリカの授業は全員参加型だと感じました。授業で何も発言しなければ、そこにいないのと同じ、と思われてしまいます。受身ではなく、積極参加する姿勢が大事。たとえ授業をストップさせても、質問は歓迎され、教師は誠心誠意答えてくれました。少し的外れな質問でも、積極的に意見したことは正当に評価される気質がありました。自分の考えを言う機会があったことは大変うれしかったですし、時には否定、反論されることもありますが、そのやり取り自体が英語で行われていることを考えれば、語学向上の役に立ちます。「こんな意見を言ったら、どんな反応をするのだろう」と、授業前にはあらかじめ効果的な英語表現を予習をしていました。ビジネスで現地の人と交渉できる語学力を身に付けたいと思っていましたから、ちょうど良い機会でした。
印象に残っている授業は?
すべての授業が楽しく、印象に残っているので、ひとつピックアップするのが難しいです(笑)。授業ではプレゼンテーションの機会が多く、その自由度が高かったため、オリジナリティあふれるプレゼンができたのが嬉しかったです。中でも、Additionalの「Filmクラス」で、好きな映画やドキュメンタリーを取り上げて、プレゼンをする機会がありました。私はMetallicaというヘビーメタルバンドのドキュメンタリームービーを取り上げて、彼らのウェブを使ったマーケティング戦略についてプレゼンしました。プレゼン中にUniversity of Washingtonの視聴覚室を使って、彼らのヘビーメタル音楽をガンガンに流したときの重低音が忘れられません。
勉強以外に熱中していたことは?
現地の野球チームに所属していました。Puget Sound Senior Baseball Leagueと言って、シアトル、ベルビューを中心にレベル別に8リーグが集まり、各リーグに8チームずつある巨大な組織です。私が所属していたのはもっともCompetitiveなリーグで、アマチュアではありますが、野球好きが集まってかなり真剣にプレーしていました。全米のアマチュアベースボールリーグのオールスターに選ばれ、アリゾナのフェニックスに招待されたこともあります。フェニックスにあるLAエンジェルスのスプリングキャンプ用の巨大な施設(計10面くらいの球場複合施設)で開催されましたが、米国のスケールの大きさに驚愕しました。なかなかできない貴重な経験だったと思います。野球を通して多くの友人ができ、今でも大の親友のパイロットの友人とは、彼の自家用セスナでシアトル上空を一緒に飛びまわったり、時にはワシントンレイクでジェットスキーをしたりと、公私共に充実した生活が送れました。
インターン先はどちらでしたか?
Hyogo Business & Cultural Center(兵庫県ワシントン州事務所)というNPO法人です。主にアメリカの方々に日本文化を紹介し、日本への理解を深めてもらうために、さまざまな日本文化教室、出張文化教室、日本語教育の支援、日本に関するライブラリーを運営して、日本文化に接する機会を提供していました。そうした活動を通じて、日本に関心を持つアメリカ人層を拡大させると同時に、兵庫県とワシントン州との交流促進のお手伝いをしています。文化交流だけでなく、兵庫県と北米地域との経済交流を進めるために経済プロジェクトを始動させ、北米地域の企業を兵庫県に誘致する活動を展開。誘致につなげるための活動として、兵庫県と北米企業との業務提携をサポートし、北米企業の日本への進出やパートナー探しなどの支援を行っていました。インターン中は、Administrative Assistantとして活動のあらゆるフェーズに関わり、企画の立案段階にも関わらせていただきました。
インターン体験で得たものは?
アメリカの方々に日本文化を紹介し、日本への理解を深めてもらうために何かできないかと考え、日本の高校野球を紹介する企画に参加させていただきました。アメリカ人の映画監督で日本の高校野球のドキュメンタリー映画を取ったKenneth Eng氏に参加してもらい、シアトル領事館協賛のもと、映画のスクリーニング会を行いました。上映後にはシアトルのキーテレビ局KING5のニュースキャスターLori Matsukawaさんの司会でパネルディスカッションがあり、私自身も野球経験者として、ほかのゲストスピーカーとともに参加させていただきました。幸いにして参加者が200人近くあり、イベントは大盛況でした。インターンでは比較的自由に仕事を任され、大勢のネイティブスピーカーの前で英語で話す機会もあり、何かひとつ自分の中でのブレークスルーといいますか、英語でここまでできたという達成感を得ることができました。
プログラム修了後はNYで就職したそうですが、現在までの経緯を教えてください。
米国での就労は非常に難しいと聞いていましたが、実情を把握してみようと思い、米国にある日系人材紹介会社に相談してみました。そのうち「今の自分のように、今後の方向性や就職に迷っている求職者の手伝いをする仕事もやりがいがあるのでは」と思うようになり、その会社のNY本社まで面接を受けに行き、その場で就職が決まりました。初めてのNYでしたし、その場でオファーをもらうことができ、言い尽くせないほどの高揚感を得たのを今でも忘れません。日系企業向けの人材紹介、派遣サービスを行うその会社では、営業として、日々ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカットのトライステートエリアを中心に駆け回っていました。そんなめまぐるしい生活を続けて1年半ほど経った時にリーマンショックが訪れ、さらには個人的に怪我をしてしまい、やむなく解雇されてしまいました。失意の元に日本帰国を余儀なくされ、途方にくれながら、しばらく日本で滞在していました。
その後、またNYに戻ったんですね。
そんな折、NYの他の人材会社の社長から電話がかかってきました。以前にNYで出席したパーティーで名刺交換をした方でしたが、私のことをよく覚えていてくれたことが大変嬉しかったです。その後、日本でお会いすると「NYで一緒に仕事をしよう」と言われました。この経済状況のなかで声をかけてくれた社長と一緒に働きたいと考え、再びNYで働くことになりました。縁があるとはよく言いますが、その縁を作るためには、いろいろな交流会やパーティーに顔を出し、Activeに行動することが大切だと改めて感じました。自分の中で、今年はNY復活の年。「不死鳥フェニックス」と銘打って、がんばっています(笑)。
海外就職は、留学前から目指していたのでしょうか?
留学前には海外で働こうとは考えていませんでした。行き当たりばったりに聞こえるかもしれませんが、そのときの状況に応じて、選択をしてきた結果と考えています。ただ、IBPに参加していなければ、アメリカで働いていなかったと思います。海外就職で必ず必要になる語学力の基本が構築できたことと、インターンシップで海外就職を疑似体験できたことで自信がつきました。今でも英語で苦労することはありますが、完璧に話せなければ現地就職できないわけではなく、ビジネスレベルであれば十分であるということがわかっただけでも大変な価値があります。英語はひとつのコミュニケーションツールではありますが、会話では表情、身振り含めていろいろな表現方法があります。ネイティブスピーカーとの会話では、ユーモアを含めた総合力が大切。場数を踏むことでだいぶ慣れてはきましたが、その入り口としてIBPは大変役に立ちました。
NYとシアトルはどんなところが違いますか?
NY(特にマンハッタン)は全米のほかの都市と比べても、特別な場所だと思います。すべてにおいてスピードが速く、車やタクシーのクラクションは24時間止まりませんし、人々もアグレッシブな人が多く、他人に対する配慮などはあまり感じ取れません。地下鉄は暗くて汚く(最近は少々改善されましたが)、場所によっては非常に危険です。しかし、それこそがNYの魅力。雑多な人間が集まり、希望を持ってチャンスを求め、切磋琢磨してサバイブしていく場所です。エキサイティングでダイナミックな都市という印象です。ビジネス面では、名だたる金融機関が集まり、まさに経済の中心といわれる場所です。この世界同時不況の発端もウォール街から始まっていることを考えると、世界に与える影響力が非常に大きい場所であるといえます。実際のビジネスも非常にシビアな場所です。個人的には、自然豊かで牧歌的なシアトルが大好きです。今でもたまに訪れますが、人々の温かみを感じられ、癒されますね(笑)。
今後の展望は?
しばらくNYで生き残ることを考えています。まだまだビジネスキャリアを積みたいと思いますし、今の仕事は大変ですが、やりがいがあります。場当たり的と非難されるかもしれませんが、まずは目の前のことを一生懸命やりたいと思います。まだはっきりした展望は見えていませんが、もうしばらく踏ん張っていれば、次の展望が見えてくる予感がします。ちなみに良い予感です(笑)。宮沢賢治の詩のように強くなりたいですが、実際は雨にも負けて、風にも負けています。しかし、暴風雨が去ったら、またコツコツ歩き出そうと思っています。
Central Park
ICCのサポートについて、感想をお願いします。
現地スタッフの方々には大変お世話になりました。よく相談もさせていただきましたし、心の支えになりました。何もなくてもよくオフィスに訪問しましたし、一緒にお茶を飲んで雑談しました。雑談といっても、スタッフの方々は長く現地にお住まいの方々ですから、お話の中には生活に役立つ情報が満載です。また、インターンの相談や引越しの際の荷物の運び方まで、きめ細かいフォローアップはとても安心できました。大雑把な私にとって、不可欠な存在でした。今でもスタッフの方々と交流させていただいて感謝しています。ハートフルでラブリーなサポートでした。
IBP参加希望者へのメッセージ、アドバイスをお願いします。
IBPのプログラムはとても良い機会を与えてくれると思います。明確なビジョンができ上がってなかったとしても、何か見つけられるかもしれません。アメリカには機会の均等があると思いますので、チャレンジ精神は歓迎されます。できるだけ回数を多くチャレンジすると成功する確率も必然的に増えますので、Try&Errorを繰り返す覚悟を持って、その中で学んでいくことが重要です。人生七転び八起きといいますが、まさにその精神が必要ではないでしょうか。IBPはサポートスタッフもしっかりしていて、心強いです。言い換えるとバックサポートがあるので、何事にもチャレンジしやすい環境です。勉強も大切ですが、それがすべてではありません。コミュニティーの中に自分の居場所を見つけ、勉強とともにプライベートでも充実させた生活を送って、アメリカを楽しんでください。
*体験談の内容は寄稿時の情報です。