コース:ワシントン大学
キャリア:社会人
留学期間:2008年9月〜2009年8月 インターン先:Allied Advertising / North American Post 社会人経験を経て、IBPプログラムに参加し、ワシントン大学へ留学。インターンは広告代理店と新聞社の2社で体験。プログラム終了後も現地に残り、翻訳の仕事に携わっている。
広告代理店と新聞社で同時にインターンを体験
渡米直後に訪れたシアトル秋の風物詩とも言えるサーモンウォッチングで写真に収めた産卵期の紅鮭。体長50センチほどの赤い鮭の大群が必死で川をのぼっていく姿を初めて見ました
同世代の同期と、シアトルから車で4時間ほどのカナダのバンクーバーを旅行しました。金曜の授業のあとに出発し、行き当たりばったりの宿に泊まったことは楽しかった思い出のひとつです
タオス・プエブロはニューメキシコ州にあるネイティブアメリカンの古代の集落で、世界遺産に登録されています。大雪のときに訪れてとても寒かったのですが、雪の白と空の青、土の赤の鮮やかなコントラストを心に焼き付けることができました
春休みに、西海岸の旅の夕食の席で友人たちと。この旅で、グランドキャニオンやセドナ、ラスベガスなど、アメリカの名だたる観光地を巡りました。/p>
シアトルから車で1時間半ほど北上したところにあるスカジットバレーのチューリップ畑で撮った一枚です。女の子10人で訪れた中の1人は、最初カンバセーション・パートナーだったのですが、今ではお互いの家を行き来したり、一緒に旅行したりする大切な友人です/p>
仕事を辞めてプログラムに参加した動機を教えて下さい。
留学前は都内の外資系金融機関に3年半勤務し、営業部門でカスタマーサポートの仕事をしていました。昔から漠然と海外で勉強したかったのですが、なかなかチャンスがありませんでした。仕事で翻訳に携わる機会もあったのですが力不足で人に頼ることが多く、きちんとした海外の機関で学びたいと思い、プログラム参加を決めました。 翻訳業を目指したいと思ったのは、アメリカ人の友人に好きな日本文学作品を薦めたところ「退屈してしまった」と言われたことがきっかけのひとつです。「もっとおもしろく読める英訳本があったらいいな、自分で翻訳できたら…」と思いました。
留学先にUWを選んだのは?
景観の美しさで有名な総合大学のキャンパスで学んでみたいと思ったのが一番の理由です。ヨーロッパ旅行が趣味で、建物の写真を撮るのが好きなので、荘厳なゴシック調の建築は毎日見ていても飽きませんでした。
留学で達成しようと決めていた目的はありましたか?
学部生と一緒に授業を聴講したいと思っていました。メインキャンパスに通った1学期目から興味のある科目の担当教授にお願いして、邪魔にならない程度にたびたび授業に参加させてもらっていました。
どんなところに日本の大学との違いを感じましたか?
キャンパスが桁外れに広大なので、移動が大変でした。次の授業に遅刻しないようにいつもクラスメイトたちと一緒にキャンパスを走った経験は忘れられません。また、学部生、院生の学期末試験に対する気迫が違うと感じました。こちらの学生は普段からよく勉強しますが、試験期間前と試験中は皆、電話にも出ないくらい勉強しているようでした。そういったアメリカの学生のリアルな姿を見ることができてよかったです。
特に印象に残っている授業は?
3学期目のビジネス講座で経験した「FINSプロジェクト」です。架空会社の経営戦略を練って電卓を叩き、強者揃いの他のグループと交渉する日々が続きました。英語に加えてビジネスのセンス、想像力、数学の知識も必要だったので、社会人生活で硬くなった頭をフル回転させなければなりませんでした。チームメンバーに恵まれ、戦略担当や交渉担当などの役割分担もうまくでき、最後のプレゼンテーションは大満足で、笑ってプロジェクトを終えることができました。
アメリカでの滞在方法は?
最初はホームステイで、後半はシェアハウスに移りました。ホームステイでは私と同じベジタリアンの家族に食事や生活の隅々まで気遣ってもらい、誕生日にはサプライズパーティーを企画してもらったり、一緒にハイキングに行ったりと、温かな思い出ばかりです。引っ越した今でもアメリカのパパ、ママと慕っています。今住んでいるシェアハウスは、ドイツ人1人とアメリカ人3人と私、計5人の女子で共同生活をしています。文化が違う上に、ホームステイとは異なり全員対等な立場なので、互いに譲り合ったり、我慢しなければならないこともありますが、それも含めて二度とない貴重な経験だと思っています。
インターン体験について教えてください。
仕事内容のバランスを考えて「Allied Advertising(現・Allied Integrated Marketing)」というエンターテインメント専門の広告代理店と、地元のバイリンガル新聞社「北米報知(The North American Post)」で同時にインターンをしました。広告会社での仕事は、映画試写会のアテンド、フライヤーの配布、広告場所のリサーチといったアシスタント的なものでしたが、若い女性の多いカジュアルな職場で同僚とも親しくなり、一緒にランチに出かけたり、飲みに行ったりしてアメリカンカルチャーを十分に吸収できました。 新聞社では、主に記事の翻訳(英語→日本語、日本語→英語)を担当していました。記者としてインタビューに出向くチャンスもあり、クラシック音楽が好きなので、幾度かベナロヤ・ホールで音楽家の方にインタビューする機会に恵まれました。子どもの頃から好きだった「ファイナルファンタジーシリーズ」の音楽作曲家である植松伸夫さんにお会いできた時は、仕事も忘れてマニアックなことも聞いてしまいましたが、新聞記事としてはよいものができたと思っています。
インターン体験でどんなスキルが身に付きましたか?
広告会社では、電話でポスター掲示の依頼をしたり、試写会でゲストの方に席の移動をお願いしたり、プレスの方たちと話す機会があったので、話す度胸がつきました。留学当初は英語の電話が恐くて仕方なかったほどなので、大きく前進したと思います。新聞社では、とにかく人にわかってもらうように書く力が身につきました。英語はもちろん、自分の書く日本語を見直す機会にもなりました。
インターン以外に、ボランティアは体験しましたか?
地元の小学校や高校を訪れ、学生に日本語を教えるボランティアを体験しました。また、近所のカフェでラテ作りを習ったり、空手家であるアメリカ人の友人の教室立ち上げのサポートをしました。地元のイベントでブースを出して生徒を集めたり、空手に関する資料の翻訳をしました。夏のイベントのブースで、お客さんを集めるためにその場で習字を書いてプレゼントする企画を思いついて大成功し、中には購入を申し出るご婦人などもいて驚きました。
現地で空手を始めたそうですね。
武道にはまったく興味がなかったのですが、友人の勧めで空手を習い始めました。英語で習う空手は新鮮で、アメリカ人の武道に対する真摯な態度にも打たれましたし、あらためて日本文化(正確には沖縄文化)の奥深さを感じました。空手を習ったことはインターンの仕事にも役立ち、マーシャルアーツ映画のプロモーションに使う写真を道場で撮らせてもらったり、師範の取材記事を北米報知に載せてもらったりしました。アメリカ人師範たちのインタビュー記事だったので、他の流派のインストラクターたちとも交流を持つようになり、掲載後も映画ポスターの掲示をお願いしたり、いろいろ助けてもらっています。
そのほかに、熱中していたことは?
留学中、いろいろなところに旅行に行きました。現地の学生と仲良くなり、山歩きやオレゴンなど田舎のほうに連れて行ってもらうことが多かったです。東京に住んでいたので、余計に自然の美しさに感動しましたし、シアトル人の自然や環境に対する真摯な思いにも気づくことができました。渡米してすぐに生物学専攻の学生たちと自然を探検する機会があり、ダウンタウンから車で20分も離れていない場所で、身体を真っ赤にした鮭の川登りを見て大変感動したことを覚えています。仲のよい同期とは、バンクーバーやヴィクトリアを訪れました。それと、最初の冬休みに一人で訪れたニューメキシコ州の世界遺産タオス・プエブロは、背景の美しい山々とともにビジュアル的に忘れることができません。
IBP留学体験は、価値観やキャリア形成にどのように影響しましたか?
キャリアに関しては、留学前から「こうなりたい自分像」があったので、シアトルでの経験によって、理想像に近づくことができたように思います。価値観は大きく変わりました。長くなってしまうのですが、簡単に言うと、主に自然環境に関する考え方と人権に関する問題です。国外に出て初めて「日本は遅れをとっているかもしれない」と危機感を抱きました。
インターン先の会社でマーシャルアーツ映画の広告に携わり、プロモーションに使う写真を空手道場で撮りました。道場の仲間たちは、初心者の私にいつも一生懸命教えてくれます
今後の展望や将来の夢を教えてください。
翻訳家を目指しています。プログラム終了後シアトルに残って、新聞社経由で引き受けた医療裁判資料の英訳を完遂し少し自信はつきましたが、帰国後は日本語の勉強も含めて、自分の目指すフィールドの翻訳に携われるようさらなる修行を積みたいと考えています。
IBP参加希望者へのメッセージ、アドバイスをお願いします。
アメリカは懐の深い国で「やりたい!」と思ったことを外から挫かれることはまずありません。実際、私はシアトルでやりたいことをやりたい順にトライし、失敗も含めて貴重な経験を積むことができました。大変な時や悲しいことがあった時には、一緒にシアトルに渡った同期や現地の頼れる友人が助けてくれます 。アドバイスとしては、英語の事前学習も大切ですが、それ以上に「アメリカで何をしてみたいか」を考えておくと、渡米後に動きやすいかもしれません。