コース:ワシントン大学
キャリア:社会人
留学期間:1998年3月〜1999年3月 インターン先:International Examiner/北米報知 東京都出身。ワシントン大学に12ヶ月間留学の経験を経て、インターンシップでは新聞社で勤務。その後、北米報知に就職。
「何を得たいのか」を明確にしてから留学することが重要な時代です
IBPプログラムを選んだ理由を教えてください。
1年という適切な期間と、プログラムにインターンシップが組み込まれていたことに魅力を感じて選びました。
留学前はどんな準備をしましたか?
ひたすら英語の勉強をしました。特にTOEFLの勉強をしましたが、それでも今思えば不十分だったと思います。
研修地に到着した時の街の印象はどうでしたか?
西海岸は何度も訪れていましたがシアトルは初めてでした。雨は多かったですが、緑が多く同じ西海岸でもカリフォルニア州とは大きく違う印象を受けました。
キャンパス内の設備など、日本の大学と比べてどう違いましたか?
施設全体が非常に広大で、図書館の数が多く開館時間も長く、日本と比べ共有のコンピュータが充実しているなど、学生が勉強しやすい環境が整っていると感じました。
英語研修はどのような内容でしたか?
日本で英会話学校へ通っていた時と違って一方的に習うという感覚ではなく、英語で考えそれを表現・実践するといったアメリカ的スタイルが中心でした。また、辞書を引いても出てこないアメリカ人特有の口語表現や、生活・ビジネスに関連した表現など、今でも日常使う言葉の中にこの時身についたものがいくつもあります。
留学中に参加したサークルやアクティビティはありますか?
留学当初からインターンシップが始まるまでの約8か月間、UW Medical CenterでEscort(病院内の書類や検体の受け渡し、患者の移動や案内などが主な仕事)のボランティアをしました。
課外活動から得たものは何ですか?
インターンシップ先には日本人は私しかいませんでした。仕事を通じて看護師や医師、患者さんやその家族と接したり、ボランティアをしているアメリカ人や他の国の外国人留学生と幅広く交流を持つことができたりして、アメリカという国のDiversityを体感できたことは大きな収穫でした。
インターンシップ先について教えてください。
最初のインターン先はアジア系住民向けフリーペーパーを発行する新聞社でした。その次に戦前から長い歴史を持つ日系の新聞社に移りました。
そこではどんな仕事を担当しましたか?
上記の両社とも日本での職務経験が活かせる広告営業を担当しました。2社目の新聞社では営業だけにとどまらず、新聞のレイアウトや広告作成、新たなメディアの企画などにも携わりました。
日本と現地のICCオフィスの対応について、感想を聞かせてください。
留学後は日本スタッフの方と接することはありませんでしたが、現地オフィスの皆さんは、近すぎず遠すぎずといった適切な距離でサポートしていただけたと思います。私のような社会人留学生にとっては、困った時に相談に乗っていただき、良い距離感を持ってフォローしていただけたと思っています。
社会人としての留学に対して不安はありましたか?
私が留学した前年に山一證券や北海道拓殖銀行の破たんなどがあり、1年間留学した後にどんな苦難が待ち受けているのかと多少不安もありました。しかし、1年のプログラムが終わる頃には不思議とあまり不安に感じませんでした。1年間アメリカで色々な体験をしたことが、自信になっていたのだと思います。
留学をふりかえり、自分自身が変わったと感じるところはありますか?
日本とアメリカ2つの国を客観的に見られるようになったことだと思います。留学前は憧れもあって「何でもアメリカが一番」「だから日本はなぁ…」といった思い込みや誤解もありましたが、日本を離れてアメリカに身を置いてみると、日本の素晴らしい部分がたくさん見えるようになりました。
IBP留学を希望している人に向けて、アドバイスをお願いします。
私が留学した頃と比べ、日本でも英語を話す方はあまり珍しい存在ではなくなりました。つまり留学の成果が英語のブラッシュアップだけでは、その後の人生が劇的に変わるようなことはあまり期待できなくなっていると思うのです。アメリカ留学に夢を馳せるのは良いですが、「単なる自分探しの時間」のためにではなく、「何を身につけたいのか、何を得たいのか」をできるだけ明確にした上で、プログラムに参加されることが重要だと思います。