コース:ベルビューカレッジ
キャリア:大学生
留学期間:2001年4月〜2002年3月 インターン先:King 5 Television(マスコミ) 1978年生まれ、兵庫県出身。慶應義塾大学卒業後にIBPプログラムに参加し、ベルビューカレッジへ留学。帰国後は電気メーカーに入社し、その後映画会社へ。現在は日本語教師として活躍中。
日本語教師として、新たな一歩をスタート
家のリビングから見える湖の景色は、本当に大好きでした。いつかこんな所に住むのが夢になりました
ホスト主催の私のお誕生日会です。IBPの仲間が遊びに来てくれて…、誕生会なんて小学生以来でとても楽しかったです
ルームメイトとオレゴン州までドライブし、Columbia river gorgeでマイナスイオンに包まれました
9.11の同時多発テロのその日、私はミシガン州の動物園にいました。このゴリラの何か悟ったような顔が印象的でした
カナダのビクトリアBCに足を伸ばし、ブッチャート・カーデンのクリスマスイルミネーションにうっとり…
IBPは何で知りましたか?
新聞の記事です。奨学生募集と試験の記事を見て、受けてみようと思いました。実際にビジネスに役立つスキルが英語で学べ、しかもインターンにも挑戦できると知り、挑戦してみたいと思いました。
BCCで特に面白かった(役立った)授業は?
英語でのプレゼンテーションの授業はとても印象に残っています。英語でプレゼンする際の用語や切り出し方など、とても勉強になりました。一般の授業では、webページを作成してみたり、persuasionの授業で現地の学生たちが一連のテロのニュースの報道について語ったり、グループでbrochureを作成したりする授業がとても面白かったです。マーケティングの授業で日本企業のケーススタディなどにあたるととても新鮮で、この経験がなければその後の就職活動も変わっていたと思います。
印象に残っている課題はありますか?
英語でたくさんレポートを書いたことを覚えています。英語で日記を書くという宿題もあったのですが、英語で考えて書く、頭に浮かんだことをどんどん書いていくジャーナルアプローチによる学習法は、私の場合、効き目があったと思います。
日本の大学と比べて、違いを感じたことは?
宿題の量や読む本の量が歴然と異なっています。また、日本の大学では趣味の領域を深める勉強、教養を深める分野を専攻していた反面、BCCのビジネスコースでは、社会人として実際に使えるスキルが身についたので、全く違った勉強をしていると感じました。
現地での生活はどのように楽しみましたか?
現地では何でも経験することを心がけていました。ホームステイだけでなく、現地の友達とルームシェアをしてダウンタウンで生活し、いろんな場所へ遊びにいき、いろんなものを取り入れようと半ば必死になっていたように思います。例えばゴールデンウィークは、ニューヨークで一人旅をしたり、夏休みはミシガンの友人宅に遊びに行ったり、クリスマス休みにはバンクーバーやビクトリアなどにも足を伸ばしました。7月4日の独立記念日のパーティーやバチェラーパーティーなど、アメリカならではのお祝いなどに参加するのも楽しかったです。
テレビ局でインターンを体験されたのですね。
「KING 5」というワシントン州を広くカバーするNBC系列のテレビ局でインターンをしました。インターネットで探し、いろんなインターンを比較検討した結果、KING 5ではインターンの仕事がきっちり決まっていて、プログラムがしっかりしていたのでこちらをとりました。外国人の私を採用してくださったことには、本当に感謝しています。ここでは、自分専用の会社のメールアドレスやデスクやポストが与えられ、プレスリリースの作成や地域活動の一環であるKING5グッズのオークション活動の手伝い、カメラマンの取材のアシスタントやテープのロギング、簡単な編集を教えてもらったりもしました。「テレビ局が地域にどんな貢献ができるか」というパネルディスカッションでは書記を任されました。ICレコーダーで録った内容を必死で文字に起こし、議事録を会社に持っていったら、皆さんがとても驚いて喜んでくださったのが印象的でした。ローカル局だからだと思いますが、テレビ局が日本のキー局よりももっと地域に根ざしていると思いました。
インターン体験で得たものは?
週に一度、部のミーティングがありましたが、ドーナツやチョコレートなどを持ち合って和気藹々と情報交換したり、同僚をよく知ることを目的としたゲームをいつも行っていたのが驚きでした。当時の部長の性格が色濃く表れていたのかもしれませんが、会社の雰囲気や働き方が日本とはかなり異なっていると感じました。電話の取り方や上司との付き合いなど、日本のビジネスマナーとはまた違う生のビジネスコミュニケーションなどを身につけることができたのも、貴重な体験だったと思います。
IBP修了後、就職活動はいつ頃からどのように行いましたか?
シアトルにいながらインターネットで就職活動し、帰国後に面接を受け、すぐに日本の電気メーカーに就職が決まりました。3月、4月はばたばたして、IBPの修了式にも出られなかったのが本当に残念だったのですが、留学経験のおかげで、とてもすんなり就職が決まりました。
映画会社へ転職されたそうですが、経緯を教えて下さい。
もともとエンターテイメントビジネスに興味があり、思い切って前職を辞めて転職することにしました。映画会社では、新作映画のプロモーションや宣伝全般が仕事内容になりました。前職の電気製品のプロモと一番違うのは、チラシや広告、ウェブサイトなどを作るだけでなく、口コミやパブリシティなどがかなり重要になるので、地道に試写会を行ったり、自らマスコミに作品を売り込んだり、お金をかけずにいかに記事にするかを考えるという作業が多くを占めました。邦画の場合は、映画が完成する前から撮影現場につきっきりになり、撮影中から出演者や監督の取材の仕切りなどをしなければならない作品などもありました。非常に多忙で、プライベートを犠牲にしなければいけない仕事ですが、映画に携わるたくさんの素晴らしい人々との出会いがこの仕事で得られた一番の宝物です。
そして、今は日本語教師に?
日本語教育能力検定に合格し、日本語講師として働きはじめたところです。日本にはさまざまな日本語学校があるのですが、私の場合は自分の今までの社会人としての経験も活かせるようなところで働きたいと思い、ビジネスで日本に来ている外国人やその企業への日本語教育を行っている会社に参加することにしました。
IBP留学はご自身のキャリアにどんな影響をもたらしたのでしょうか?
やはりIBPでマーケティングについて学んでいなければ、最初の就職先として電気メーカーのマーケティング職を選ばなかったと思います。また映画宣伝においては、自分の担当作品でなくてもハリウッドスターの来日などがあると、英語に抵抗がないスタッフということで仕事を手伝うことができ、東京国際映画祭でも海外のプレスと話すことができたので助かりました。外国人ビジネスマンへの日本語教育に関しては、インターンで自分自身が戸惑った経験をしたことで、外国人学習者が日本で働いた時に感じる違和感や疑問を相手の立場に立ち、共有してあげられる部分があるのではないかと思います。
IBP留学によってご自身が変化したと思いますか?
大学生になるまで海外に行ったこともなく、英語は受験のための記号くらいにしか思っていなかった私にとって、この留学はたくさんの人と出会い、いろんなところへ行き、世界を広げることができるきっかけになったと思っています。
king5でお世話になった皆さん。インターン最終日にいただいた寄せ書きは、今でも大切にしています
今後の仕事の展望を教えてください。
自己研修を忘れず、常に成長し続ける教師でいられたらと思っています。まずは日本で経験を積み、いつか機会があれば、海外でも日本語を広める仕事をできたらいいですね。
IBP参加希望者へのメッセージ、アドバイスをお願いします。
留学の期間は限られているので、時間を大切に思いっきり学び、楽しみ、すべての経験を自身の今後の人生の財産になるように、ぜひがんばってください。