かけがえのない青春の思い出になった高校留学
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期 間:2019年1月〜2019年12月
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国:オーストラリア
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地 域:メルボルン
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高 校:Balcombe Grammar School
中学3年生の際、学校から参加したメルボルンへの短期留学で思ったようにコミュニケーションが取れず悔しい思いをしたのがきっかけです。「絶対に話せるようになってやる」という思いから、高校一年留学を決意しました。
名古屋でICCの説明会が開催され、そこで出会ったBalcombe Grammar Schoolの校長先生と教頭先生と意気投合したのがきっかけです。また、オーストラリアは安全面から選びました。
特にこれといった準備はしませんでしたが、日々の英語の授業に力を入れ、英検2級の取得をしていきました。
学校自体の規模は小規模でのびのびとしており、留学生の数が少ない点から学校を選びました。私は、ヴァイオリンを弾くので、学校にヴァイオリンの授業やアンサンブルがあることも決め手となりました。
科目を選択できる点が一番の相違点です。自分の得意を伸ばせる選択ができ、私はアートや音楽パフォーマンスなど、日本では取得できないような科目を選択しました。
「Religion(宗教)」の授業が衝撃的でした。堅苦しく宗教について学ぶのが主ではなく、面白い世界の宗教(スパゲッティーモンスター教etc)や移民問題についての授業、映画の鑑賞など幅広く主体的に学ことができました。私は、この時に見た移民のドキュメンタリーがきっかけで今も大学で移民に関する研究を行なっています。
House(全校生徒が色でチーム分けされている)対抗のミュージックパフォーマンスデイが印象に残っています。私の黄色のCaseyチームは、歌手5人とヴァイオリン私の6人でアラジンの“Speechless”を演奏しました。このように、縦割りの音楽やスポーツの行事が沢山あり充実していました。
プロダクション(アダムスファミリー)、オーケストラの一員として
ホストマザーとホストファーザー、そして愛犬のマックスに囲まれ、幸せな1年間を過ごすことができました。何より私を本物の娘のように暖かく愛を持って見守ってくれたホストファミリーのおかげで、安全に高校生活を送れました。毎週土曜日には、私のテニスの試合の送り迎えをしてくれたり様々な所へ連れて行ってくれたりしました。平日には、一緒にお料理をしたり愛犬のマックスと皆で近くのビーチにお散歩に行ったりしました。
友人や家族とのコミュニケーションを大切にしていました。英語のミスをすることを恐れず、日々友人や家族と関わることで、どんどん成長して行ったのを覚えています。
現地の友達と
フォーマル
学校帰りには、近くの駅まで行って友人と映画を見たりタピオカ店でお話ししたりしていたのを覚えています。また、海岸へ行ってアイスを食べるのが日課でした。
素敵な友人が沢山できました。彼らが日本語を専攻していたこともあり、初めて教室へ行った時から打ち解け今でも連絡を取り合っている大切な仲間になりました。コロナ禍があけた年に、4年ぶりに再会したのもいい思い出です。
友人とのハロウィンパーティー
まりこさん(現地アドバイザー)には頻繁に様子を見に来てもらったり、悩みを聞いてもらったり手厚くサポートしていただきました。定期的に行われる学校でのミーティングは、いい思い出です。
帰国後コロナ禍で、学校も塾も閉鎖されたため実質総合型試験へは3ヶ月ほどしかありませんでした。
国際系の学部を専攻の基準にしました。大学でも留学を希望していたため、地元の大学を選択しました。
影響しました。総合型入試は、英語の長文を日本語にまとめるもの、日本語の長文を英語にまとめるもの、それらに対する英語の意見、10分間のプレゼンテーションがあり、英語のレベルが問われるものでした。また、プレゼンテーションでは自分が留学で行なってきたことを話すアピールの場となり、留学経験が生きた瞬間でした。
地元のテニスクラブで優勝
帰国してからです。コロナ禍だったので、自主的に調べました。
帰国後の受験形態について、オンラインで相談させていただきました。
受験用に英検準一級は取得していました。
英語力向上はもちろんのこと、自分の意見がはっきり言えるようになりました。また、コミュニケーション能力を養い、多国籍の友人と関わった経験から偏見なく多角的に考える視点を持つことができました。
高校留学での経験は、かけがえのない青春の思い出になります。大学4年生になった今でも、オーストラリアでの一年は忘れられない素敵な思い出として心の中にあります。人生の友人や家族と出会える高校留学、思いっきり楽しんで様々な経験をしてきてください!
ハウス毎の音楽大会