1回だけの留学ではもったいない!
大学の交換留学制度を利用して、オーストラリアへ
参加コース:ニュージーランド高校卒業留学プログラム
留学期間:2005年4月〜2006年12月
留学先:リカトン高校(ニュージーランド・クライストチャーチ)
2005年4月からニュージーランド・クライストチャーチにあるリカトン高校(Riccarton High School)に留学し、2006年12月に卒業。2007年4月より早稲田大学教育学部に在籍。大学の交換留学選抜をパスし、2009年10月より、オーストラリアのクイーンズランド大学に1年間留学に行く。
サッカークラブの活動を通して、交遊関係が広がった
高校最終学年でのプロム(卒業ダンスパーティー)
卒業後、訪れた母校の図書館で後輩と記念写真
親友宅にて、日本とNZの友好親善の証
ホストファミリーと一緒に
Q:高校留学を決めた理由、きっかけは?
A:将来、英語力が必要になると思い、実践的に学ぶには生活・勉強をしながら学ぶのが確実と考えたからです。
Q:高校1年時にアメリカ留学をしていたそうですが、ニュージーランドに留学先を変更したのは?
A:アメリカの高校は日本人学校だったので、当初想像していた留学生活とは程遠いものでした。転学して現地校に進むことに決め、高校2年の時にニュージーランドに留学しました。数ある中でなぜニュージーランドを選んだかというと、アメリカ英語と違う環境に興味があった点と、他の英語圏と比較しても治安が良く、学費も安価だったからです。
Q:アメリカとニュージーランドの高校で、違いを感じたのはどんな点ですか?
A:生徒の自主性を重んずる点では共通していますが、ニュージーランドの高校には制服があることです。また学校の部活動で人気があるものとして、アメリカではアメリカンフットボールや野球ですが、ニュージーランドではラグビーやクリケットが人気でした。
Q:留学先のクライストチャーチはどんな街でしたか?
A:大都市ではなく、非常に落ち着いたきれいな街です。イギリスからやってきた開拓団が整備した街なので、区画や通りの名前にもそれが受け継がれています。買い物をするにも、自然を楽しむにも「ちょうどよい」街で、都市と自然のいい所が調和し合っているのが特徴です。
例えば、街の中心部から西に車で20分ほど行くと、北海道の平野のようなのどかな風景が広がり、羊や牛を見ることができます。ところどころに農家直売所があり、新鮮な果物や作りたてのジャムが売られていました。また東に20分ほど行くと、太平洋が臨める風光明媚なビーチがあった点が気に入っていました。
Q:留学した高校はどんな学校ですか?
A:学業やスポーツの面で、ほどよくバランスが取れている学校でした。学生数も多くも少なくもなく(およそ1000名程度)、学校選びに迷った際にはお薦めしたい高校です。留学当時は100名ほどの留学生がいたと思います。
Q:語学力アップのためにどんな努力をしましたか?
A:目標として英語を使う時間を決め、毎日それを越えるように生活していたことでしょうか。その中で、ホストファミリーや学校の友達と「積極的に」コミュニケーションを図るのは語学力向上には欠かせないと思います。
Q:自分で英語力が伸びたことを実感できたのは?
A:ネイティブの方とごく普通に会話をし始めて、初めに「あなたの英語は上手ね」と言われなかった時は伸びたのかなと思いました。一見おかしな話ではありますが、会話の糸口をつかむために相手の英語を褒めることはよく見受けられます。逆説的ですが、自分の話す英語が褒められないことが、自然に相手に認められた証ですよね。
Q:学校で好きな科目は何でしたか?
A:名前は堅苦しいですが「法律学」の授業は面白かったです。実際の判例から、どのようにして法律が適用されるのかを学習したり、警察署や裁判所の見学に行ったりと、外国人では伺いしれない「ニュージーランド」に触れられました。
Q:日本の学校にはないようなユニークな科目や行事、学校の習慣などはありましたか?
A:僕は取っていませんでしたが「チャイルドケア」という、家事や子育ての仕方を学ぶ科目がありました。もう一つは「フォトグラフィー」という科目で、建築物や風景の写真を撮って、最終的には現像まで出来る面白い授業がありました。
日本にはない学校の行事として、各学期に2回「マフティーデイ」という、私服着用の日がありましたね。好きな服を着ていい日なので、思い思いの服を着てみんなが楽しんでいたのが深く印象に残っています。
Q:高校ではどんな風に友だちを作りましたか?
A:地元のサッカークラブや同じクラスの人間と仲良くすることによって、人間関係の幅を広げていきました。特にサッカークラブの活動には力を入れていて、自分の高校以外の人間関係も広がりました。放課後は、サッカークラブの練習や友人とスポーツジムに通い、週末は友達と遊びに行ったり、サッカーの試合に出場したりしてました。
Q:留学当時の印象に残っているエピソードをおしえてください。
A:最終学年次にInternational Committee(留学生委員会)の日本人代表委員として、立ち上げに関わったことです。学校には多様な文化的背景を持った学生が集まっているので、様々な課題があり、それを学生からのアプローチで改善をしていこうという趣旨の下、活動しました。メンバーの台湾人の友達が、偶然にも、NZの交換留学生として早稲田大学に通っており、お互いに旧交を温めております。
家では、建設関係の仕事をしているホストファザー(元NZ陸軍の特殊部隊員)が、まるで映画の007かと思ってしまうようなエピソードを熱く語ってくれました。当時は捕鯨問題が日本とニュージーランドの間でホットになり始めた頃であり、報道がなされる度、激論を交わした事が深く印象に残っています。
Q:振り返ってみて、高校留学によって自分が変わったと思うのは、どんな点ですか?
A:周りへの配慮ができるようになった点と、人を巻き込む力がついた点です。よく自己主張ができるようなったという声が聞かれますが、それだけでは単なる我儘になってしまいます。自己主張をするのは、同時に相手の立場を配慮するのが前提であり、それを重ねていけばどんどん人の輪ができていくものだとNZでの経験で痛感しました。
Q:大学で留学経験が活かせてますか?
A:留学生在籍数がとても多い大学に通っているので、相手と日本語で意思の疎通が図れない場合は、英語を使ったりできることでしょうか。何よりも、留学経験が私に外国人の立場に立って考えさせる機会を与えてくれたのが非常に大きいです。
Q:国際交流サークルで活躍されているそうですが、具体的にどんな活動をしていますか?
A:「Waseda International Festival」という団体に所属し、代表を務めてました。活動内容は、その国の出身国の学生がリーダーとなり、ダンスや歌を指導して、日本人学生や留学生が対等な立場で相互交流をしています。毎年6月には本公演があり、1000人近くの集客規模となっています。
Q:もうすぐオーストラリアの大学に留学されるそうですね。
A:留学を高校の時の1回だけにするのはもったいないと考えていて、大学選びの際も交換留学制度が充実した早稲田にしたくらいでした。留学先をオーストラリアにした理由は、まったくの偶然で、実は第3志望だったのです(笑)。最初はイギリスの大学を志望していましたが、ご縁があってオーストラリアになった次第です。
Q:大学留学では、どんなことをしてみたいですか?
A:勉強もそうですが、もうすぐ社会人なので、自らの仕事の適性を図れるようなインターンシップがあれば参加したいですね。
Q:将来の夢を教えて下さい。
A:私の留学経験を生かし、社会(世界)に何か貢献できれば嬉しいです。世界がこれだけグローバル化になってきている昨今、違う国との交流をより深くすることは欠かせなくなると信じています。日本と外国の国際交流の架け橋的存在になれればと思います。
Q:これから高校留学を目指す人たちへ、アドバイスをお願いします。
A:敏感に物事を感じとれる高校の時に留学をすることは、その後の考え方や生き方に大きな影響を与えると思います。日本では経験することができない貴重な数年間を送れるのが高校留学の醍醐味です。異国の地で自分の感性を信じ、親に感謝しながら(笑)、いろいろなバックグラウンドを持った学生と揉まれて、強くなってきてください!
■担当カウンセラーからのコメント
誌紋君はアメリカの高校からNZの高校へ転学した珍しい経歴の学生さんです。ニュージーランドに移ったのは高2の2月(1学期目の途中)でしたが、常に積極的に現地の生活にとけ込む努力をしていました。学校のクラスのみならず、好きなサッカーを通じてクラブのメンバーと交友を深め、また、ホストファミリーとも積極的にコミュニケーションを取り、前向きに頑張っていたのがとても印象的です。「積極的に努力すれば、自ずと道は開ける」ということを体現してくれました。その努力の姿勢は大学生となった今も変わることなく、大学では国際交流に携わり、多くの留学生をまとめて活躍しています。その姿は本当に感心するばかりです。これから1年間、今度は同じオセアニアでもオーストラリアでの大学生活が待っています。頑張って勝ち取った交換留学の機会、たくさんの素晴らしい体験をしてきて欲しいと期待しています。
横浜オフィス
留学カウンセラー 笠井葉子