大学院留学中にアルバイトをしていた企業で本採用され、
卒業後もシドニーで働いています
参加コース:オーストラリア大学院留学プログラム
留学期間:2004年5月から〜2005年11月
留学先:シドニー大学・大学院
上智大学外国語学部英語学科卒業。大学卒業直後にシドニー大学の大学院に留学し、Master of International Studiesを専攻。大学卒業後もシドニーに残り、現地企業に勤務している。
日本人留学生と現地学生の交流の機会を提供するクラブを企画、運営しました
Q:大学卒業直後に留学されたようですが、日本での就職は考えなかったのですか?
A:正直、多少の迷いはありましたが、周りの友人に大学院進学者が多く「4大卒業→就職」という図式が自分にとっては薄かったです。それよりも、英語学科を卒業してそれなりに英語はできるものの、それが日本以外の国で通用するレベルではないと感じていたし、帰国子女の多い環境だったので英語に関して劣等感を感じる場面もあり、それを何とかしたいと常に思っていました。
社会経験を経て留学する人も多いと思いますが、就職をして働きながら(もしくは退職して)、留学の準備をするのは、なかなか難しいのではという思いもあって、卒業直後に留学しようと決めました。
Q:英米ではなく、なぜオーストラリアの大学院を選ばれたのですか?
A:大学時代の友人にアメリカからの帰国子女が多くおり、アメリカに留学するのでは何か面白くないという思いがありました。オーストラリアには旅行で来たことがあり、特にシドニーは実際に住んでみたいという思いがありました。当時、オーストラリアは英米と比較して授業料と生活費が安いということも理由の1つでした。
Q:留学先のシドニー大学の印象は?
A:キャンパスの建物自体は新しいものから古いものまでさまざまでした。Quadrangleと呼ばれる建物はシドニー大学の創立時からのキャンパスで、最も象徴的な建物と言えるでしょう。Quadrangleの前にはVictoria Parkという大きな公園が広がり、授業の資料を読んだり、生徒達が集まってディスカッションしたりしている光景をよく見かけました。日本で通っていた大学は都心に位置していた関係もあり、公園で学生たちが集まって授業の準備をすることはなかったので、図書館にこもる代わりに良い気分転換になりました。このような環境もあるからか、学生達もゆっくりと勉強をしていたように思えます。ただ、オーストラリアは大学への進学率が低く、また、シドニー大学は州内の名門大学ということもあり、学生達も勉学には大変熱心だったと思います。
Q:Master of International Studiesを専攻された理由は?
A:上智大学外国語学部では、副専攻で国際関係論を選択していました。ゼミは国際政治経済論を選びましたが、ゼミの教授は政治経済学の専門でありつつも、全体的な興味分野が貧困と開発経済論でした。もちろん基本的な知識、理論はカバーしてたとは思いますが、全てが自分の興味に合致していたわけではありませんでした。それもあり、オーストラリアでは貧困問題だけではなく、より広義且つ一般的な国際政治論や経済学を学びたいと思ったからです。
Q: Master of International Studiesではどんな勉強ができるのですか?
A:国際関係論は大変幅のある分野ですが、根本の概念は、複数国間の関係を研究・考察することにあるかと思います。国家間の経済、政治、安全保障関係であったり、または、より大きな集合体(例えば国連やEUなど)を研究します。研究の切り口もいろいろあり、歴史的な観点からそれらの形成と発展を学ぶこともできれば、もっと実用的な点から、時事問題を中心に研究することもできます。
A:International Securities(国際安全保障)は、安全保障の3大理論を学んだ後、さまざまな事象をそれらの論理的見地から検証し、理由立てをしていく授業でした。授業自体はレクチャー形式で、欧米の大学で多い討論などはあまりありませんでしたが、授業がとてもよく構成されており、毎週授業に参加するのが楽しみでした。教授は当時のオーストラリア首相の兄弟で、大学でも人気科目の1つでした。
多くの教授が講義形式の授業だったので、生徒数によっては、なかなか質問をするような機会やディスカッションをできる機会が少ないものもありました。その点、Middle East Politics(中東政治)の教授方法は実験的で興味深いものでした。毎回、中東の国に付いてレクチャーをし、レクチャー終了後から次週までは、幾つかのグループに分かれてオンラインのブログでディスカッションをしていくという形式でした。それぞれの時間のある時に意見を投稿していけるという面白いものでした。
A:Chinese Politics(中国政治)の授業を履修した時は、現地学生に加えて中国からの留学生が多く、クラスに日本人は自分1人だけでした。トピックの1つが日中関係に関することで、クラスを2グループに分け、中国側からと日本側からの見解を交換するという趣旨でした。折りしも、小泉前首相の在任期で日中関係の悪化が騒がれていた時期でしたので、中国人留学生と自分との間では少し感情的になりつつも、熱心に意見を交換したのを覚えています。
Q:卒業後、シドニーで就職されたとお聞きしていますが、どんなお仕事ですか?
A:在学中にパートタイムとして、多言語でカスタマーサービスを提供するコールセンターの日本語部門にて仕事を始めました。卒業後にその会社から仕事用のビザをもらい、フルタイム正社員として仕事を始めました。現在は日本語部門のチームリーダーとして、社員教育と新規の社員雇用を主な職務としてます。
A:オーストラリア第一の都市とはいえ、東京に比べるとシドニーは良くも悪くも田舎です。飲食店、デパートなどの娯楽施設の充実性を考えると、東京の足元にも及びません。ただその分、シドニーの中心部の近くにはきれいなビーチや大きな公園が点在しており、天気の良い日には多くの人で賑わいます。また、多くの海や大きな公園には公共のバーベキュー用コンロがあり、バーベキューはオーストラリアで最も人気の娯楽と言えるでしょう。このような自然にふれる機会が多い土地柄、人々も東京に比べるとゆっくりとし、おおらかなライフスタイルを送っているように思います。
Q:大学院留学を経て、オーストラリアで就職を目指す方へのアドバイスをお願いします。
A:ビザの関係上、オーストラリアでの就職はかなり難しいものとは思いますが、オーストラリア企業にも、仕事用のビザを出して現地採用をするところが全くないわけではありません。何事も無理と決めずに、一度は試しに挑戦してみるのが良いのではないでしょうか。
Q:オーストラリアの大学院で学ばれたことは、國分さんの人生にとってどんな時間だったのでしょうか?
A:シドニー大学では、日本に興味のある学生のために、日本からの留学生と現地学生の交流の機会を提供するクラブの企画、運営をしました。このクラブ運営は日本人だけではなく、現地の学生や日本以外の留学生を交えたものでしたので、いろいろ意見を交換する際にはなかなか一筋縄ではいかない場面もありました。現地の学生や各国からの留学生との出会いや、やり取りを通して、学業だけではなく、それ以外の社会勉強もできたと思いました。これは日本で大学に通うだけではなかなか経験できないことだったと思うので、やはり留学は大変価値のあるものだったと思います。
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